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メルロ ポンティ : テツガクシャ ワ シジン デ アリウルカ
メルロ=ポンティ : 哲学者は詩人でありうるか? / 熊野純彦著
(シリーズ・哲学のエッセンス)

データ種別 図書
出版者 東京 : 日本放送出版協会
出版年 2005.9
本文言語 日本語
大きさ 118p : 挿図 ; 19cm

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開架
108||S||17 000246512 4140093250

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別書名 異なりアクセスタイトル:メルロポンティ : 哲学者は詩人でありうるか
内容注記 【序章 哲学者は詩人でなければならないか?】
詩のことば、哲学のことば
詩という問い、哲学という問い
文体への問い、哲学への問い
メルロ=ポンティの場合
『知覚の現象学』の問題設定
【第一章 経験に立ちもどること】
単純な「感覚」なるものは存在するか?
単純な「所与」もすでに意味をもっている
おなじ感覚を生じさせる、おなじ印象なるものは存在しない
ミュラー=リアーの錯視について
結晶はどのように見てとられるか
いわゆる「連合」によって意味を説明することはできない。逆である
世界の根本的な隠喩性について
世界は相貌的に与えられており、連合を可能にするのもこの相貌である
経験の詩的次元へ
【第二章 身体へ立ちかえること】
「見ること」と「私の身体」
「もの」としての身体、「現象」としての身体
幻影肢現象をめぐって
身体図式としての身体
所有としての身体
「~と考えることで」と「~ができること」
習慣としての身体
身ぶりとしてのことば。あるいは、ことばが意味をもつこと
語りつつあることば、世界を唱い、言祝ぐことば
【第三章 世界を取りもどすこと】
病理現象が意味しているもの
シュナイダー症例をめぐって
比喩としての知覚、表情としての世界
見ることの深部へ―交流する感覚、共振する身体
「見ること」と「触れること」―世界との交換と共感覚
存在との始原的な接触
奥行き―世界の厚み、世界の嵩
世界が私に対して存在していることの経験
感覚の反転―両義性と可逆性
【終章 哲学者は詩人でありえたか?】
回顧と回帰
反省の困難
時間と反省
哲学者は詩人でありえたか?
一般注記 メルロ=ポンティ小伝: p108-109
読書案内: p110-115
著者標目 熊野, 純彦(1958-) <クマノ, スミヒコ>
件 名 FREE:Merleau-Ponty, Maurice, 1908-1961
分 類 NDC8:135.5
NDC9:135.55
書誌ID 1000033861
ISBN 4140093250
NCID BA73574605 WCLINK
目次/あらすじ

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